小江戸として観光客にも人気の街、川越市の歴史

川越市は埼玉県の主要都市のひとつとして発展し、現在も埼玉県内ではさいたま市、川口市に次いで3番目に人口が多い。

平安時代に誕生した「喜多院」

「山王塚古墳」が見つかった「山王塚遺跡」
「山王塚古墳」が見つかった「山王塚遺跡」

川越市内では旧石器時代の「在家遺跡」をはじめ、縄文時代の「藤原町遺跡」や「牛原遺跡」、弥生時代の「登戸遺跡」や「有泉遺跡」などが見つかっており、古くから人々の営みが行われていた痕跡が残る。古墳時代になると、「三変稲荷神社古墳」や「愛宕神社古墳」、「牛塚古墳」、「山王塚古墳」など大型の古墳も造られ、地域の中心地として発展していたことが伺える。

「無量寿寺」の一部であった「喜多院」
「無量寿寺」の一部であった「喜多院」

奈良・平安時代には、現在の川越市周辺は「三芳野の里」と呼ばれ、伊勢物語にもこの地の様子が詠われている。また、平安時代には円仁(慈覚大師)により「無量寿寺(のちの喜多院・中院など)」が建立された。

平安時代末から鎌倉時代にかけては、各地に荘園が発達し、武士がその実権を掌握するようになった。川越周辺でも武蔵七党の村山党の一統であった仙波氏をはじめ、地頭の古尾谷氏、山田氏などが荘園を支配し、武蔵武士として台頭した。なかでも河越氏は鎌倉幕府の御家人として重用され、武蔵国の有力武士として繁栄している。

「川越城」の城下町から商業の街へ発展

川越の歴史を感じられる「川越城本丸御殿」
川越の歴史を感じられる「川越城本丸御殿」

1457(長禄元)には、太田道真・道灌父子が現在の「初雁公園」周辺に「川越城」を築城し、現在の川越市中心部は城下町として発展を遂げる。また、「無量寿寺」の「仏地院(現在の中院)」が関東天台宗の本山として勢力を強めていく。

江戸時代になると、現在の川越市周辺は徳川家の重臣・酒井重忠の所領となり川越藩が設置された。酒井重忠は商人の座を廃止し、楽市・楽座的な政策を行い、商業の街として繁栄する礎を築いた。

明治時代に建てられた蔵が並ぶ「蔵造りの街並み」
明治時代に建てられた蔵が並ぶ「蔵造りの街並み」

明治時代に入ってからも、川越は埼玉県随一の商都・金融の中心地、米取引・穀物集散地として栄えた。しかし、1893(明治26)の大火により、中心街の大部分が焼失。その後、火事に強い建築として、蔵造りの商家が多く建てられている。当時の建物が現在も数多くの残り、「蔵造りの街」として観光客にも注目されている。

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