川越街道の宿場町、新河岸川の河岸からベッドタウンに進化したふじみ野の歴史

ふじみ野市は埼玉県南東部、都心から30km圏内に位置し、2005(平成17)年に旧上福岡市と旧大井町が合併して誕生した。

新河岸川の水運の拠点であった福岡河岸

旧石器時代の石器が発見された「本村遺跡」
旧石器時代の石器が発見された「本村遺跡」

現在のふじみ野市には古くから人々が暮らしており、今の「ふじみ野市立東原小学校」内にある「本村遺跡」では約27,000年前の後期旧石器時代の石器が見つかっている。

また、「東台金山公園」内の「東台遺跡」からは9,000年前の縄文土器が発見されており、これは縄文土器としてはふじみ野市内最古のものだ。約6,500~6,000年前には地球上の気温が現在よりも高くなり、海水面が5m高くなっていた。これにより、東京湾が現在のふじみ野市を含む、荒川流域の低地まで入り込んできていた。

「川崎遺跡」では平安時代の集落跡が見つかった
「川崎遺跡」では平安時代の集落跡が見つかった

その後、平安時代になると、現在のふじみ野市周辺では豪族が台頭するようになった。ふじみ野市内最大規模を誇る平安時代の集落跡が見つかった「川崎遺跡」では、竪穴式住居のほか、高床式の建物跡や井戸、さらに鍛冶工房の遺構が確認されている。鎌倉・室町時代に入ると河越氏や仙波(せんば)氏、大井氏、難波田(なんばた)氏などが、現在のふじみ野市周辺の開発を進めた。

新河岸川の舟運の拠点として栄えた「福岡河岸」に造られた「福岡河岸記念館」
新河岸川の舟運の拠点として栄えた「福岡河岸」に造られた「福岡河岸記念館」

江戸時代になると、旧大井町に川越街道の宿場町「大井宿」が設けられたほか、旧上福岡市の新河岸川には河川交通の拠点として「福岡河岸」が整備され、水陸の交通の拠点として繁栄した。

大規模団地の建設でベッドタウンへ

第二次大戦後、東京郊外のベッドタウン化が進み始めると、現在のふじみ野市内でも昭和30年代から、当時は東洋一といわれた「霞ヶ丘団地」や「上野台団地」などの大規模団地が建設され、現在のような住宅地を中心とした街に変貌した。

「上野台団地」が建て替えられて誕生した「コンフォール上野台」
「上野台団地」が建て替えられて誕生した「コンフォール上野台」

これらの団地群は老朽化が進行したため、建て替えが実施され、「上野台団地」が「コンフォール上野台」として生まれかわったほか、「福岡中央公園」も整備されるなど、時代の変化に合わせて進化し続けている。

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